令和元年 新しい時代の幕開け

2019 年 05 月 12 日 ブログ

昭和の大戦は、言い尽くす事が出来ない悲惨な出来事でした。海外も含めどれほど多くの人々が

犠牲になったかを考えると恐ろしいです。

平成天皇は、その任を美智子皇后と共に負うように約30年間象徴天皇として国民の安寧と

平和を願い日本の隅々まで足を運びました。改元にあたりこの1か月程、平成の時代を振り

返る報道番組を見てきましたが、本当に様々な出来事がありました。

見たこともない普賢岳の火砕流、地下鉄サリン、阪神、淡路そして極め付けは列島を揺るがした

東日本大震災と大津波など数え上げればきりがありません。しかし日本人はどんな困難にも

めげずにたくましく、我慢強く復興に向けて歩み始めます。被災者の方々が途方に暮れる中

膝をついてまでお言葉をかけてくださる両陛下の慰問に、どれほどの勇気と希望を与えられたか

番組を見ながら感動して涙していました。

この度のご退位は、体力の限界との事です。ご公務の過密さ、東奔西走の日々を支えて来られた

のは、皇后様の存在だと確信いたします。どこへ行かれるのも常に控えめで陛下に寄り添い、

美しく品格のある皇后さま、初の民間出身の妃が、身近に開かれた皇室に変え、陛下、お子様達

と楽器を奏で、素晴らしい詩を詠み、文化芸術の発展に貢献し、清らかなお声で英語のスピーチ

をなさる様は、絵に描いた様な良妻賢母、かくある女性の鏡です。陛下が、ご退位するお言葉の

中で涙ぐみ声を震わせ60年の結婚生活を共に歩み、想像以上の環境の中で苦労して耐えてきた

皇后に感謝する場面は、人間『昭仁様」を見たような気がしました。

陛下が前立腺がん出術を受け、心配する国民の声が広がってゆく様を皇后さまがお詠みになられた

幸「さき」くませ 真幸「まさき」くませと人びとの 声渡りゆく御幸の町に

なんと心優しい奥様か。陛下にジェラシーを感じると共に本当にお疲れ様でした。

 

 

 

イチロウー選手お疲れさま

2019 年 04 月 07 日 お知らせ

小説家「山本周五郎」どの作品も、はずれがなく発想、構成、文体がとても

斬新で面白く大ファンの一人です。とりわけ時代小説に登場する武士たちの

心得、信じることには『死」をも辞さない覚悟があります。

先日、電撃引退したイチロウー選手の記者会見で野球大好きな野球漬けの

人生は、どんなにつらくても逃げずに戦って来られたことに後悔はないと

言ってました。ありのままの自分らしさをさらけ出す本当のイチロウー選手

が見えて根底に流れているのは、武士道精神ではないかと思いました。

野球は9人でする団体競技ですが、これほど一人一人に重圧がかかる個人

競技はありません。イチロウー選手の様な名プレイヤーでも大事な試合の

場面では、孤独とプレッシャーで手足が震え胃潰瘍になったそうです。

やると決めたら信じて地道む、これこそが一芸に秀lでる者が得る権利で

しょうか?どんな困難や苦労でも打ち返せるバットコントロールは流石です。

子供たちへのメッセージは、自分が好きになれるもの夢中になれるものを

探して、一生懸命エネルギーを注いで欲しいと言ってました。確かにいくつに

なっても情熱を傾ける何かがあれば、寂しくもないし若さも保てます。

最後に選手として遣り残した事はという質問に「これだけのあたたかい声援を

送ってくださいました大勢のファンの皆様がいるのにこれ以上何もありません」

40歳半ば、平成を駆け抜けた大スターの達観した言葉でした。

涙がとても印象的でした。多くの感動をありがとう。

 

 

偉大な昭和の一人

2019 年 02 月 24 日 ブログ

日本列島にかかる気圧配置が気まぐれの為か、日替わりの様に寒暖差が激しく体調を崩される方が多いようです。

NHKの朝の連続ドラマ「まんぷく」、モデルになった日清食品の創業者、安藤百福氏と

しっかりと後ろで支える妻仁子まさこさんの、二人三脚波乱万丈の物語を楽しく見ています。

改名したのでは、と思う程「仁」の徳を積んで「福」を多くの人に与えるピッタリのお二人の

名前です。 「事実は、小説よりも寄なり」と申しますが、今から役60程前『世の中の人の

為に何か役に立ちたい」想いで家族の協力を得て、無一文から即席めんを発明して魔法のラーメン「チキンラーメン」を世界の食卓まで広げてゆきます。目のつけどころの素晴らしさや、何を

作りたいか目標をしっかり定め、必ずやり遂げる不屈の精神力はさすがです。

麺にお湯をかけて3分待つ。私もこんな簡単に美味しいラーメンが食べられるのかと当時

驚いた一人です。昭和34年頃、皇太子殿下ご成婚、テレビの登場、「もはや戦後ではない」

と日本は高度経済成長期に入り、人々の生活も安定し始め、おう歌するのに忙しく、食事も

簡便性を求めるようになり「インスタント」が流行語になった時代です。成功者は、運も味方

します。宗教上、牛、豚を食するのを禁じられている国々でたまたまスープが鶏だったので

世界中が受け入れてくれたのです。今では何億食もの需要を生んでます。

百福氏の90歳のパーティで、奥様と手を取り、微笑むお写真を拝見して『人生に悔いなし」と

言っている様で畏敬の念と羨ましさで胸が熱くなりました。それにしても奥様役の安藤サクラ

さんの笑顔は、周りの人を明るく元気にしてくれますね。

 

平成最後の売り出し

2019 年 01 月 06 日 お知らせ

つむぎや新春恒例展    お買い得セール併催

1月25日『金」から27日『日」

場所 銀座大黒屋ギャラリー6階   AM11時~PM7時

電話 03-3571-0008

 

新年明けましておめでとうございます

2019 年 01 月 05 日 ブログ

本年もよろしくお願い致します。

2019年4月、神々しい今上天皇と美智子皇后が生前退位されます。新しい時代へ移り変わっていくのは喜ばしい事ですが、一つだけ寂しい事があります。日本の宝、美しすぎる美智子皇后

のお姿を拝見する事が少なくなる事です。

思えば60年前史上初の民間出身の美しすぎる美智子様が、皇室に嫁がれました。たとえようのないオーラと存在感を放つお方で、ミッチーフィバーなる社会現象が起きたほどです。

何かの本に今上天皇のご学友が、若かりし頃の殿下は自己中心的であまり優しさの様なものは

感じられませんでしたが、ご結婚されて少しずつ変わっていったのは美智子皇后の影響がかなり

おありではないかと言っていました。お二人で数多くの外国をご訪問され、皇室のあるべき姿を

勉強され、また国内の災害、被害地を訪れて避難生活をされている方々

。両陛下に感動を覚えます。又、皇室において日々のご公務をこなしながら伝統文化を守るために養蚕、稲作等もされています。

天皇だって一人の人間です。辛い日や苦悩の時も多々あるはずです。私たち国民がもっと両陛下

に対して思いやりや、積み上げられた努力にもっと感謝と尊敬の念を持たなければなりません。

皇后美智子さまは、技芸すぐれた詩詠みでおられます。「詩を書く事は、自分を削りとる事」と

おっしゃってました。削りとらなければ人の心に乗り移って来ない

『子に告げぬ哀しみもあらむも、ははそはの母、清(すが)やかに老い給いけり」

これからも両陛下が末永く、お健やかに新しい生活を楽しまれる事を心からお祈り申し上げます

樹木希林さん感動ありがとうございます。

2018 年 11 月 13 日 ブログ

早いもので各地から紅葉の便りが届いたと思ったら、今年もあと2か月足らずです。

銀座『和光」の裏に小さなシネマスイッチという映画館があって、樹木希林さんの最後の映画{日日是好日}が

上映されていて連日賑わってます。

さすがに素晴らしい役者さんでした。 抑揚のあるしゃべり方、落ち着いた何気ない自然な振る舞い、

その眼差し、まるで昔からお茶の先生だったのではと思う程の堂に入った演技でした。

ストーリーは、平凡な家庭に育った女の子が大学生になり、進路に悩んでいた時、母から「お辞儀がとても

きれいな方なのよ」とお茶の先生を紹介されて、お稽古に通いはじめるところから始まります。

そこで最初に触れるお茶碗、お茶室の非日常的な雰囲気に興味半分、驚き半分。それからお茶に通う度に

心が和み、普段見慣れている筈の四季の草花や、時季のお菓子等自然の美しさや、恵みに気ずき感激し

又、頭でなく身体が自然にお点前を覚えていくことでお作法が身についていきま。

お茶を習った方なら、自分に重ね合わせて思い当たる場面があり、懐かしく想えたのではないでしょうか。

やがて社会人となり、厳しい現実と向き合いながらも時節のお茶の行事、お初釜から年末の無事のご挨拶まで

毎年繰り返していきます。そして、気がつけばお茶を始めて20数年の歳月が経ち、新しいお弟子さん達に

指導する立場になります。先生の『教える事で分かる事がたくさんあるわよ」の言葉が印象的でした。

物語は、どこにでもある日常的なものでしたが、上映中何故か万感こみ上げて涙してました。

限りある時を毎日無事に過ごせる大切さ、ありがたさに感謝する自分がいたからでしょうか。

私も良い先生に巡り会えたのだから 「気合を入れて精進しなければ」

 

芸術の秋、天高く馬肥ゆる秋

2018 年 10 月 15 日 ブログ

芸術の秋、今年も東京都美術館に没後50年「藤田嗣治展」を観に行って来ました。去年の「運慶展」から

一年、時の早さに戸惑いながら感慨深いものがありました。

1913年フランスに渡り、モジリアーニ、ピカソ、ルソー等と交友しながら野心と鉄の意志で生活習慣、

言葉の壁を克服し、フジタ独自の絵画を確立してゆきます。そして、乳白色の裸婦、茶目つ毛たっぷりの猫

の絵を発表して世界に日本人画家として名声と評判を得ます。

今回、数多くの作品を観賞して、乳白色の平和な色から激動の時代に巻き込まれ、茶褐色の戦争画へと

移ってゆく画風の変化にフジタの苦悩がうかがえます。「玉砕アッツ島」の見るに耐えない残酷な地獄絵図は

圧倒的な迫力でした。まさにフジタは、絵を描く為に生まれてきた不世出の天才画家と感動しました。

すっかり堪能して、いい気分でしたがどうも心に引っかかるものがありました。どうしてフジタが

日本人として晩年を迎えられなかったのか?

二度の世界大戦が、フジタの芸術家としての人生に関わり第二次大戦後、軍部との関係を疑われ製作活動に

支障をきたすという事で祖国を離れフランスの永住権を取得して生涯を送ります。

フジタほど日本が好きで日本人の誇りを持った人間を閉鎖的で狭量な敗戦国日本が守ってあげられなっかた

事は、日本の損失です。

それにしても、極上の芸術は 何とも知れぬ 魔力があります。